NTTや通信業界の歴史を覗いてみて、NTT法の改正を考える

みなさん、こんにちは。BBIX/BBSakura Networksの福智です。

今年のBBSakuraアドベンドカレンダーに載せるBBSブログは今我々の業界で話題沸騰のNTT法の改正についてちょっと考えてみたいと思います。

BBIX社内のSlackに社員の皆さんは通信業界のど真ん中にいるのでこの話題にもちゃんと触れておいてくださいね。と下記記事のリンクを貼りました。

digital.asahi.com

ただ、待てよ。今の20代30代のワカモノたちは、果たしてこの記事を読んだだけでこの問題の本質がわかるだろうか?

もっとNTTの成り立ちから現在に至るまでの背景を理解しないと問題の本質に辿り着けないのではないか?

と考え始め、一度NTTの歴史、民間通信事業者との関係性の経緯をまとめることにしました。

なお、今回の執筆にはBBIX Singaporeの白畑さんに多くをアウトソースしております。

(白畑さん改めてありがとうございます)

日本の電気通信の起こり

日本は明治初期に、電信のためインフラを早い時期から整備してきた。1869年の東京~横浜を皮切りに、1873年(明治6年)には青森~長崎間、1882年にはほぼ全国主要幹線網を整備している。

またベルの発明した電話は発明の翌年に輸入するなど、最新の技術の導入と国産化に積極的であった。当時のインフラの担い手は政府(工部省、逓信省)であったが、一部では私設電話などの民間によるインフラ整備や、鉄道における通信インフラの整備も行われた。

電信

  • 1849年(嘉永二年)、松代藩士・佐久間象山、オランダの書物を参考に電信機を自作、松代で約70m離れた仮住居との間で日本初の電信実験に成功したとされている
  • 1854年(安政元年)、米国のペリーの2度目の来訪時に徳川幕府にエンボッシング・モールス電信機を献上。翌1855年、オランダも受信機を幕府に献上。実用化されないまま明治維新に至る。
  • 1868年(明治元年)、官営に依る電信事業が廟議決定、1869年8月には横浜裁判所(県庁に当たる機関)と横浜燈明台役所間に官用電信線を架設して官用通信の取扱いを開始、同年12月東京と横浜間に電信線を架設し公衆電報の取扱いを開始
  • 1872(明治5)年9月に至り、政府は私設線の架設を禁止し、官営主義に。翌1873年 青森-東京-長崎間が完成し、1882年にはほぼ全国主要幹線網を完成。
  • また1871年(明治4年)、デンマークの大北電信会社(The Great Northern Telegraph. Co.)が長崎~上海、長崎~ウラジオストク間を接続する長距離海底電信ケーブルを敷設。国内網敷設とあわせて長崎に届いた海外からの電報を国内に伝送できるようになる。
  • 1895年(明治28年)、マルコーニが電磁波による送受信に成功、翌年には日本でも実験に着手し、1897年に成功。
    • ※マルコーニのマルコーニ無線電信会社とイースタン電信会社は1929年合併し、ケーブル・アンド・ワイヤレス(CW)に。
    • ※ケーブル・アンド・ワイヤレスの日本法人は現ソフトバンクの源流の一つ。
  • 1908年(明治41年)5月、逓信省が銚子に開設した局とサンフランシスコ航路の丹後丸内に設置された無線局との間で、無線電信による最初に公衆電報を取り扱い。

電話

  • 1876年(明治9年)にアレキサンダー・グラハム・ベルによって電話機が発明
  • 1877年に工部省が電話機を輸入して実験を行い電話機の国産化に着手。逓信省が東京と熱海との間に電話線を架設し、1887年(明治20年)12月に実験に成功、1888年から公用の通信に使用し、更に1889年1月から初めて公衆通信の取扱いを開始。同年3月、電話も官営にする方針となり、電信・電話は共に逓信省で運営。
  • 1890年(明治23年)、逓信省により東京市と横浜市間において電話交換サービスが開始。
  • 以降、第二次世界大戦中・大戦後に幾度か組織再編が行われ、電電公社設立前の時点では郵政省に統合されている。

鉄道通信

  • 1872年(明治5年)に新橋~横浜間での鉄道開業に伴い、3本の裸線を用いたモールス電信を使用して閉塞運転を行ったことからスタートし、信号通信システムとして誕生。
    • ※その後の日本テレコム(現:ソフトバンク)の事業の源流である

電電公社の生い立ち

1952年(昭和27年)に日本電信電話公社法に基づく特殊法人として、郵政省の外郭団体の形態で日本電信電話公社が設立。英文略称はNTT(Nippon Telegraph and Telephone Public Corporation)。

電信電話業務の拡大と電気・通信事業の企業的効率性の導入による更なる公共の福祉に役立つ運用を行うためとされた。

設立の審議の過程において、国際電話業務を分離し特殊会社とする案もあったが、国際電話の別会社化について審議を併行し続ける形で、同公社が国内と国際両方の電信・電話業務を所管することとなった。資本金は電気通信事業特別会計の資産と負債の差額(182億円余り)とされ、全額政府の出資金であった。

1953年(昭和28年)、国際電信電話株式会社法による特殊会社として国際電信電話株式会社(現:KDDI)設立、国際電信電話業務を移管。

NTTの誕生と通信自由化

ここまでの日本の通信インフラの歴史を振り返ると、電信に始まる日本のインフラは官主導で行われてきたことがわかるが、通信の自由化・規制緩和と日本電信電話公社の民営化はインターネットの台頭に大きな追い風となった。

通信の民営化は1980年代の世界的潮流で、元々民間企業により運営されてきた米国を除くと、英国(1984年)、ドイツ(1995年)、フランス(1998年)、オーストラリア(1997年)、イタリア(1996年)に民営化が行われている。

一方、中国の中国電信やシンガポールのSingtelなどは上場し、政府保有株式の一部売却が行われているものの株式の過半数は引き続き政府ないし政府系ファンドが保有している。

日本でも1985年(昭和60年)に公衆電気通信法が電気通信事業法に改正され、日本電信電話公社の民営化、電気通信事業への新規参入、および電話機や回線利用制度の自由化(端末の自由化・通信自由化)が認められた。

これに伴い、1987年(昭和62年)に第二電電(DDI、現:KDDI)、日本テレコム(現:ソフトバンク)、日本高速通信(現:KDDI)の3社が長距離電話サービスに参入。

1986年、政府保有のNTT株195万株が売却。民営化後、NTTデータ(1988年)、NTTドコモ(1991年)、NTTファシリティーズ(1992年)、NTTコムウェア(1997年)が設立されている。

コロケーション、ダークファイバーの開放

1997年11月には、接続約款にコロケーションの条件が規定され、NTT以外の通信事業者がNTTの局舎に通信設備を設置する際のルールが明確化された。

今日では義務コロケーション(略して義務コロ)として呼ばれるもので、他の通信事業者もNTT東西の設備を合理的な価格で利用できるものである。

まさに当時の審議会の報告書にある通り、「電気通信事業者間の相互接続において、加入者回線を相当な規模で有する事業者のネットワークへの接続は、他事業者の事業展開上不可欠であり、また、利用者の利便性の確保という観点からも当該ネットワークの利用が確保されることが不可欠である一方、事業者間協議に委ねた場合、合理的な条件に合意することが期待しにくい構造となっている」と指摘されている。

要はNTTのインフラやラストマイルの回線設備の開放なしには競争が生まれにくく、かといってNTTと他の通信事業者の協議に任せるとNTTに有利な条件しか提示されない構造があった。

実際、2000年時点では、NTT東西が加入者回線の99%を占める独占状況にあった。

NTT再編

1997年、競争上の問題(内部相互補助や情報流用など)に対して行政行為のみでは根本的に対応ができないことから、NTT法が改正され、1999年7月にNTTは持株会社の日本電信電話株式会社、競争的部門として長距離通信を担うNTTコミュニケーションズ、独占的部門として地域通信を担うNTT東日本、NTT西日本の4社に分割された。

ここでのポイントは、地域電気通信網への接続にあたりNTTコミュニケーションズはDDI、日本テレコム、KDDI(いずれも当時)などの長距離通信を担う事業者との条件の同等性確保にあった。

一方、当時はインターネットや携帯電話が今日ほど発展しておらず、各事業者ともに電話による音声収入が大きく、また産業構造としても外資系OTT事業者の存在が小さかったことが昨今のNTT法に関する議論の背景にある。

ISDNからADSLへ

NTTは当初、マルチメディア全盛の1990年代、ISDNからFTTHへの移行を考えていたが、1995年のWindows95を皮切りにインターネットが爆発的に普及。高速な通信回線に対するニーズが高まっていった。

NTTは1997年ごろ、ISDNへの干渉や電話局からの距離による速度低下などを理由にADSLに対して否定的な立場をとっていたが、1999年にはNTTに対して「ドライカッパー」(未利用の電話回線=銅線、ないしは利用されていない帯域)の開放が義務付けられた。

これにより、NTT以外の通信事業者がNTTの電話回線に利用されている銅線をそのまま利用可能なADSLによるサービスを開始。NTTの電話網を使ったADSLサービスが1999年12月20日にコアラが大分市の一部で、また東京めたりっく通信によって2000年1月に東京23区内の一部を対象に商用ADSLサービスが開始した。

一方、NTT東西も1999年12月からADSLの試験サービスを、2000年12月26日に商用サービスを開始している。

その後、2001年6月に2001年6月ソフトバンクの子会社のビー・ビー・テクノロジーとYahoo!JAPANがADSLサービスYahoo!BBを発表し、当時破格の金額である最大8Mbps、2,280円で話題を集め、9月にサービスを開始した。また当時経営危機に陥っていた東京めたりっく通信をソフトバンクが買収している。

さらに、ADSLだけではなく、ブロードバンドの本命である光ファイバーに関してもインフラの開放が進められた。

NTTはそれまでは光ファイバーを他の第1種通信事業者(当時)に貸し出す義務はなく、2000年12月当時の電気通信審議会の答申によれば「(光ファイバへの)接続の請求への拒否が行われるなど円滑な接続が実現していない」「今後高速サービスの提供のための基幹的な位置づけを持つ、 不可欠設備である光ファイバ設備が適正な条件で提供されない状況が生じている」として、NTTだけが歴史的経緯で公的資金を活用して建設された資産を含む光ファイバーの全国網を有しているにも関わらず、他の通信事業者がそれを事実上、事業活動に利用できないことにより通信事業者間の競争が阻害される構造が生じていた。

これのような状況を受け、総務省においてルールの見直しが行われ公平な約款ベースで光ファイバーを貸し出すことになり、卸電気通信役務制度に組み入れられた。

また、NTT東西が所有する光ファイバーに光信号を通してNTT東西の通信サービスに活用する、いわばセット状態での利用しか事実上できなかったが、光の通っていない状態の光ファイバー(ダークファイバー)を他の通信事業者が明朗な条件で借り受けることができることになった。

こうして、2000年12月27日には、NTT東西が光ファイバー網のアンバンドル提供条件を示し、2001年4月にはダークファイバーへのアンバンドルが行われ、9月には接続約款に接続料が規定された。この結果、加入者ダークファイバーを利用して法人向けブロードバンドサービスを開始したのがソフトバンクネットワークスの子会社のアイ・ピー・レボリューションである。

その時の同社社長がNTT初代社長の真藤 恒氏の三男である真藤 豊氏であり、取締役技術統括が私、福智道一でした。

また同時に、NTT東西がインターネット接続用に構築したネットワーク(地域IP網)もルーティング伝送機能として併せてアンバンドル化および接続料設定がなされ、

今日の日本のインターネットのアクセス回線の大部分の基礎となっている。

モバイル時代におけるNTT設備のアンバンドル

日本の大手モバイル事業者3社は、全国にわたる広い地域において4Gの800MHz/900MHzで軒並み99.7-99.9%の人口カバー率を実現している。

実はこれらの多くを支えているのはNTTのインフラである。

日本国内の大手モバイル事業者は携帯電話の基地局とコア設備を接続する回線の多くにNTT東西の光ファイバーを利用している。

特に人口密度の低い地域においては、敷設されている光ファイバーがNTTだけであるケースが多く、光ファイバーなどのインフラを複数社で利用することで投資の有効活用が図られ、日本国内のデジタル社会のインフラを支えている。

今議論されているNTT法の見直し論について

現在、NTT法の見直し論が盛んに議論されている。

過去の議論を振り返ると、NTTは他の通信事業者に対して事業が成り立つ条件での光ファイバーの貸し出しに消極的な対応してきた経緯や、財産権を盾に開放義務の縮小を図る議論があった。

一方、総務省の規制は通信事業者間の競争による電気通信事業の発展とインフラの効率的な投資を促してきたといえよう。

特に日本の都心部や一部のデータセンタ集積地を除く、日本の国土のほとんどの地域でNTT東西のダークファイバーや義務コロケーションは、過剰投資を抑制しつつ、全国にインターネットを広げるというデジタルデバイドを解消する上で大きな成果を上げてきた。

これには国が大株主として間接的なものも含め一定の影響力を及ぼしてきた側面があるといえよう。

例えばソフトバンクの孫正義社長は2000年代初頭、IT戦略会議においてNTTのインフラの開放を要求してきた。

純粋な民間企業であれば株主利益や財産権の観点からは拒絶することが想定されるが、当時は政府が株式の46%を保有してきたこともあり、e-Japan戦略など超高速インターネットの普及という国策を推進する観点でも協力をせざるを得なかったとも言えよう。

例えば、東南アジアのある国(インドネシア)では事業者が経済合理性のある価格で光ファイバーを提供しないことから、多数の事業者が自社で光ファイバーを埋設し、通信インフラのコストが高止まりする原因となっている。

しかしながらファイバーの埋設ルートが同一であるなどコスト増が信頼性の向上に繋がっていない。

光ファイバーや通信局舎などのボトルネック性のあるNTTのインフラ利用に対するガバナンスと共有(シェアリング)促進が、少子高齢化が進む中でこれからも持続可能な形で日本の津々浦々に広がるモバイル網、インターネットを支える重要な鍵である。

利益を追求する株式会社としての組織形態においてユニバーサルサービスをどう支えていくかが、NTT法見直しの一つの大きなテーマである。

参考資料